2009年06月30日
坂本龍馬の隠れ家「酢屋」
三条小橋から、南へ、四条方面に歩き、次の橋を右に、河原町通りの方に戻ります。
この道は、「龍馬通り」と呼ばれているそうです。
河原町通りの手前に、昔ながらの町家がありますよ。
ここは、「酢屋」と看板が掛かっていますが、お酢を売っているわけではなくて、のぞくと、中はギャラリーのようになっています。
昔、坂本龍馬が率いる、海援隊の詰め所だったところですね。近江屋で、襲われる前まで、いたところだそうです。
猫チチさんの書き込みに寄りますと、この近く、木屋町に土佐藩の京都藩邸が有ったそうですね。
また、東海道の終点、三条大橋の近くといえば、今なら、京都駅前みたいな感じだったんでしょうか。
それにしても、池田屋とすぐそば。池田屋のむかえのうちの、真裏です。
新撰組が、襲った池田屋の近くにいるなんて、大胆ですね。
さて、現在は、一階は「創作木工芸酢屋」、龍馬をかくまった二階は「ギャラリー龍馬」となっていますよ。
でも、残念ながら、
「あれ?開店は、11時だって・・・」
というわけで、残念ながら、入らずに、酢屋さんをあとにしました。
▼京都・酢屋 創作木工芸の店
京都市中京区河原町三条下ル一筋目(龍馬通)
http://kyoto-suya.co.jp/
▼フルムーングリーンパス
http://www.jr-eki.com/service_ticket/htm/jr-kyotu/fullmoon_couple.html
僕のブログの中に(京都花見旅行)という題名があります。
其処に龍馬の妻(お龍)の実家跡楢崎家跡地の石碑の写真があります。
良かったら見てみてください・・・・。
新撰組や見廻り組は、不逞浪士を取り締まるために居たので、その辺りが中心になります。
つまり・・・明治維新の志士と呼ばれる方々は、(歓楽街)を根城にしていた事が判ると思います。
龍馬は、当時はまだ無名で新撰組や見廻り組の間では、船中八作を共に作った後藤象二郎や中岡慎太郎の方が有名でした。
人物が大きすぎたのか、それとも今で云う(暴走族)のような存在だったのか判りませんが、龍馬は亡くなった後、一気に有名になった人物です。
また京都に行ったときに、新撰組や維新の志士の所を歩くと面白いと思います・・・。
大河ドラマの新撰組では、新撰組と龍馬は、顔見知りで、それほど敵対もしていなかったような、覚えがあります。(あんまり詳しくなくてすみません)
たしかに、隠れるなら、色々な人が出入りする、歓楽街の方が、いやすいですよね。
来年の大河ドラマは、龍馬ですから、幕末関係の案内板も増えるでしょう。楽しんできたいと、思います。(^^)